top of page

【SUNNYな日々】~12月1週目~

こんばんは! Goです!


気が付けば12月! 最近高松~まんのう町をバイクで行き来して景色を楽しんでます!


大好評(だといいな。。。)の世界の四大料理圏シリーズ

最終回は、日本人にとってもお馴染みの【中国料理圏】です。


中国料理のキーは【主食文化】・【醬(ジャン)】・【茶】です。


【主食文化】


中国には、西から東へ流れる5400㌔の黄河と、6300㌔の長江の2大河川があります。

それぞれの流域に個性的な農耕文明が発達し、【南稲北麦】又は【南粒北粉】と言われ、

乾燥した黄河流域の畑作地帯と多湿な長江流域の稲作地帯に分かれて展開されていきました。


麦が中国の食の世界に登場するのは漢代(紀元前202~220年)であり、それ以前は、アワやヒエが

黄河流域の主食だったといわれています。又、黄河流域は乾燥地帯の為、南と比べて副食の食材が限られており、

アワやヒエを使った粥や餅等の主食文化が発展しました。

漢代に石臼がシルクロードを通って伝えられ、アワやヒエから麦の文化に代わっていったのですが、

その際にそれまでの黄河流域の伝統的な食様式を生かして、【麵】文化が発展していきました。

このような経緯で、中国には多様な主穀文化が生まれ、日本の食文化にも大きな影響を与えました。

【麵】は、元々は小麦粉の意味でしたが、やがて麦を材料とする細長い食べ物全般を意味するようになりました。

初期の頃の麵は、団子状に捏ねて茹でる「スイトン・ワンタンの皮」のような物でしたが、3世紀頃までには

細長い形状のものが食べられるようになったといわれています。

尚、《料理の起源》という著書に、中国の華北では、小麦の食し方の2割が「餅類」、4割が「麵類」、4割が「饅頭類」として食べられていると推測されています。


*ここだけの話

・中国料理の「餅」は、日本の餅とは全く異なり、小麦粉を捏ねて平らにしたものを、焼いたり、蒸したり、揚げたりしたものの総称で、多様な種類があります。「焼餅(ラオビン等)・油餅(葱油餅等)・煎餅(發麵餅等)・菜餅(餃子等)」が挙げられます。

・饅頭(まんじゅうではなく「マントウ」)は、小麦の粉を水で捏ねて一晩おき、翌日に拳大にちぎり、蒸して作る

発酵蒸パンのことで、他の小麦文化圏とは全く違う種類のパンです。日本の饅頭のルーツですが、一般的に中国では

具や餡の無い物を指します。

・麵の作り方は主に下記の3種あり、材料や食文化の組み合わせで多様な形を生み出してます。

①小麦粉の粘性を利用し、粉を捏ねてから手で引っ張って長くする「素麺・ラーメン」

②粉を捏ねて平たく伸ばしてから切る「うどん・そば」

③押して圧縮する「パスタ・冷麺」

この中で意外なのは、素麺であり、当初は索麵と呼ばれ、唐代(奈良時代)に、日本に伝えられました。

日本では「ムギナワ」と呼ばれ、太麺だったそうです。

尚、その後の中国において、次第に細麺の製法が発明され、元代(鎌倉時代)には、ほぼ現在の「素麺」と同じ形態のものが禅僧により日本に伝えられたそうです。


【醤(ジャン)】

中国では豆・穀類・魚介類などを発酵させてつくる調味料を「醤(ジャン)」と総称します。

日本の醤油と違い、どちらかというと味噌に近い調味料で、独特の味や香りを持つ多種多様の素材の組み合わせがあり、インド料理におけるカレーと同じ発想です。

醤は中国の食文化に於いて、中心を担う調味料である為、漢字の部首に「将」が使用されています。


醤の歴史はかなり古く、今から3000年前の周代に、アワ麹を使った肉の醬が既に作られていました。

それは、日本の塩辛のようなもので、そのまま食されたり、調味料として使われたといいます。

中国の経書の一つ「周礼」によると、王の食事に用いられる醬の種類は120種類にも及んだとされ、

古来より醤文化が発展していたことが伺えます。

紀元前400年頃の戦国時代に、大豆や小麦を原料とする穀醬が登場しました。


醤の主なものに

大豆からを麹を使って発酵させる「黄醤」

蒸大豆を塩漬けにして発酵させる「豆鼓醤」

小麦から作る「甜麵醬」

白ごまを原料とする「芝麻醬」

皆様ご存じの四川料理で有名な調味料「豆板醬」があります。


その中でも、「黄醤」を作る技術は、前漢の時期に急速に広がり、司馬遷は「貨殖列伝」で、大都市では酒と味噌の消費量が大きく、それらを扱う商人は大富豪であると記してます。後漢初頭に、文献に「豆醬」という味噌が登場します。

醤油は味噌から派生した調味料であり、油は「液体」を意味するので、液体化した醤ということです。

醤油は当初、大豆を煮て、煮汁を弱火で煮詰めて濃縮したものでしたが、後漢末期から宋代にかけて「醤清」・「醤汁」等と呼ばれ味噌から染み出た副産物という扱いであり、「醤油」という調味料として確立されたのは明代以降でした。


「醤」は中国で進化し、日本や朝鮮半島等の東アジアの食文化に多大なる貢献をしたことはいうまでもありません。



【茶】


茶の故郷は、雲南の山岳地帯であり、そこから東へと伝わりました。

茶は最初は眠気などを防ぐ覚醒剤や体調不良時の解毒剤等、薬用として利用されてたようです。

中国に於いて、飲料として茶が飲まれるようになったのは、意外にも唐代以降であり、

唐代の皇帝「徳宗」の代に全国で茶税の徴収が始まってることから、そのころには飲茶がかなりの程度

普及していたのが分かります。


茶の飲み方を確立したのは、唐代後期の文筆家である「陸羽」であり、彼の著書「茶経」のなかで、固い塊にした茶(餅茶)を砕いて茶瓶に入れ、塩、生姜などを加えて飲む「煎茶」お作法を説いてます。

唐代末期に、臼で挽いた抹茶を茶碗に入れ、湯を少しずつ注ぎながら茶筅でかき混ぜて飲む「点茶」が始まりました。茶のたて方は次第に洗練化されて貴族や文化人の遊びに変化していきました。そこから「闘茶」が始まり、

宋代に庶民にも広がり、日本から宋に留学した禅僧により、日本にも伝わり、それが日本流に洗練されて「茶道」となったのです。


清代になり中国のお茶は、発酵させない「緑茶」ジャスミン茶等の「花茶」、完全に発酵させた「紅茶」、

半発酵させる「ウーロン茶」等に分化され、中国の新しい茶文化を形成していき、現在に至ります。


中華料理と中国料理の違いを書こうと思ったのですが、よく考えたら1ヵ月程前に書いていたので、

興味ある方はそちらをご覧ください!😊


それでは、また来週👋



最新記事
カテゴリー
アーカイブ
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page