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【SUNNYな日々】~11月3週目~

こんばんは!

SUNNY DAY  Goです!


好評の世界4大料理圏を紐解くシリーズ!(知らんけど)

今回は、「ヨーロッパ料理圏」

ヨーロッパ料理のルーツは古代ローマ帝国の頃まで遡ります。

古代ローマの料理には、【パン】【オリーブ】と、もう一つ料理に欠かせない調味料がありました。

それは、当時のローマ人にとって、日本人にとっての醤油や味噌に匹敵する調味料であり、

塩よりも重宝されていたといわれています。


その調味料とは?


なんと!【魚醬】です!😲


では、【魚醬(ガルム)】・【オリーブ】・【パン】をキーワードにヨーロッパ料理圏とはどんなものであったのか?を紐解いていきたいと思います。


【魚醬(ガルム)】

日本を含む東アジアや、東南アジアのイメージがある魚醬ですが、ローマ帝国時代の料理でも使用されていたのです。ではこの調味料は、いつ頃から使用され、どのような物だったのでしょうか?


ローマの魚醬は「ガルム」又は「リクアメン」と呼ばれ、カタクチイワシやニシンの腸を塩漬けにした後に、2~3ヵ月程、天日に晒して腐敗させ、それに香草を煮詰めた液を入れ濾して作った、強烈な匂いをもつ辛い調味料でした。

地中海各地では、そこにガルムの結晶がこびりついた壺が古代の沈没船から多数発見されており、紀元前5世紀頃から調味料として使用されていたことを裏付けてます。

ガルムは、それ故に、2・3滴で料理の味を全く別の物に変えてしまう程強い味の調味料であり、辛い物好きであったと云われるローマ人にとって人気があり、たいへん高価なものでした。(現在の価値でいうと、1ℓで約200万円)

しかし、7世紀~8世紀にかけてのイスラム教徒の大征服運動で、地中海が徐々にイスラム教徒の支配下に入り、

イスラム文化圏=地中海地域

キリスト教文化圏=ヨーロッパ中北部

に分裂することで、地中海地域で量産されていたこの調味料は、ローマ帝国の滅亡と共に姿を消していきました。現在では、ガルムをルーツとした調味料が、一部の地中海地域で残っているそうです。


*ここだけのはなし

現在でもヨーロッパ料理で多用されている【アンチョビ】は、古代の調味料の名残だと言われています。因みに、アンチョビの語源はバスク語で「干し魚」を意味するanchovaです。


【オリーブ】

地中海を代表する食材であり、日本でも気候が類似している瀬戸内でのみ生産されている「オリーブ」

この原産地は小アジア~シリアに至る、東地中海の沿海地域であり、5000年前頃から栽培されていました。

これらは、塩漬けにされたり、オリーブ油に加工されるのですが、このオリーブが英語の「oil」の語源である事は

あまり知られていません。

オリーブと言えば、有名なのはギリシャですが、古代よりギリシャでは最大の特産品がオリーブであり、地中海地域でも特にオリーブと共に生きてきました。

ギリシャ人は、オリーブの世話と加工を純潔な乙女と青年にゆだね、死者が出るとその顔に香りの良いオリーブ油を注ぎました。オリーブは「清浄」と「聖化」のシンボルでした。

また、4年に1度開催されるオリンピア競技の勝者には、オリーブの冠が与えられ「勝利」のシンボルでもありました。ローマにオリーブ油が移植されたのは紀元前600年頃でしたが、利用が広まったのは5世紀頃であったといわれています。


*ここだけのはなし

ギリシャのアテネには次のような伝説があります。

新しく都市が建設されて、守護神を選ばなければならなくなった時に「知恵と戦いの神」アテネと「海の神」ポセイドンが互いに争いましたが決着がつかず、最終的に何を贈れるかで決着をつけることになりました。

アテネはオリーブの木を贈り、ポセイドンは海馬を贈りました。

その結果、アテネの贈り物に軍配があがり、都市の守護神になると同時に、都市の名がアテネと名付けられたそうです。そして、アテネはオリーブ栽培の神としても崇められています。

もし、ポセイドンに軍配があがっていれば、ギリシャの首都は「ポセイドン」だったのかもしれませんね。


【パン】


ヨーロッパ料理圏地域での主食はパンですが、元々古代エジプトの系譜(平パン)を引くパンの製パン技術が、ローマ帝国の支配により引き継がれて発展していきました。

この背景には、ローマ帝国が、支配地域からパン職人や粉挽の技術者を強制的に連行し、積極的な技術の移転を図ったことにあります。さらに碾臼による製粉、パン焼きカマドの改良、馬の尻尾の毛から「粉ふるい」を作る等の技術的な進歩と、良質の小麦粉を手に入るようになったことで、ヨーロッパのパンのグレードが数段上がりました。

そして、ローマではパン屋がたくさん生まれ、1世紀頃にはパン屋の組合が出来るほどでした。

ローマ帝国の繁栄と共に進化した製パン技術ですが、帝国の滅亡とともに衰退していきます。

その後、地中海商業が復活すると、再び勢いを取り戻し、ヨーロッパ料理圏の主食としての地位を強固たるものとします。


ヨーロッパ中世の【Lord(領主)】/【Lady(淑女、領主の奥方】という語も実はパンと深い関わりがあります。

古代英語では 【Lord】=パンを守る人 /【Lady】=パン生地を捏ねる人 を意味していました。

中世の領主にとってパンの製造と管理が何よりも重要であったことの名残であり、奥方がパンの製造を監督し、領主がパンを管理して従者に分け与えるという社会でした。

ヨーロッパ諸国では、商業の発展につれて地域内の結びつきが強まると、地方ごとのパン(ランド・ブレッド)が生まれ、次第に、国ごとのパン(ナショナル・ブレッド)が普及されるようになります。

ナショナルブレッドの例としては、ホワイトブレッド(イギリス)、バケット(フランス)、

ライ麦パン(ドイツ)、クロワッサン(フランス)、ロールパン(アメリカ)があります。


*ここだけのはなし

・古代より、キリスト教の世界では、パンを割いて共に食べる(仲間)の意味として【communion】という言葉があります。厳密に言うと、キリスト教でイエスの身体を象徴するパンを信者が共に食べ、兄弟の契りを結ぶという意味です。

イエスが使徒たちとの最後の晩餐でパンをちぎって弟子に与え、「これはあなたたちに与えられるわたしの身体である」と述べたと語り継がれ、パンはキリスト教の聖餐に欠かせない食品になりました。


communionという言葉を由来とするものにcompany / companion / communication 等があります。

その中でも companyは、日本語の「コンパ」の語源といわれています。


・日本に最初に伝えられたのは1543年で、大航海時代にポルトガル人によって伝えられました。

(元々はパンの伝来が目的ではなく、倭寇の手引きで日本に鉄砲が伝えられたついでのようです。)

大航海時代の船上では長期保存の利く「ビスケット」で、ラテン語の「二度焼く」に語源を持つ、二度焼きのパンでした。ポルトガル人が日本にもたらしたのは、ライ麦入りの固いパンであったのかも知れません。

そして、もうお察しだと思いますが、日本語の「パン」はポルトガル語が由来であります。



今では、全世界で食されているパン。

日本でも、たくさんの種類のパンが食べられていますが、ヨーロッパでは少し意味合いが違います。

日本で米食が欠かせないように、パンは宗教的にも文化的にもヨーロッパ料理圏に於いて決して欠かせない食料なのです。



それでは、また来週!👋




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