【SUNNYな日々】~11月2週目~

こんばんは!最近、気分は毎日アラビアンな Goです!


今回は、前回の話の続きで「ペルシア・アラビア料理圏」に関して紐解きをしていきたいと思います。

ペルシア・アラビア料理圏を語る上で、キーワードとなるのが下記の4つ


【タービル(スパイス)】・【ムギ】・【ナツメヤシ】・【コーヒー】


この4つのキーワードを一つずつ見ていきましょう。


【スパイス】


中東の料理は、アラビア語でスパイスを意味する「タービル」を多用するところに特徴があります。

スパイスといってもたくさん種類があるのですが、今回は中東発祥のスパイスの代表格である「サフラン」に焦点を当てていきます。


メソポタミア文明の頃から中東地域で根付いていたスパイス「サフラン」。

その名の由来は、ペルシア語の「ザアーフラーン」であり、西アジアにルーツがあるといわれています。

イスラム圏で広く用いられるこのスパイスは、アヤメ科の「クロッカス」という花を材料とし、この花の雌しべを集めて作られています。クロッカスは春の到来を告げる花であり、春に芽を出し、夏に太陽の恵みをたくさん受けて、秋に淡紫色の花を実らせることから、サフランの材料となるクロッカスの雌しべの柱頭は太陽のエネルギーを凝縮させたものと考えられてました。100g作るのに4万本の雌しべが必要であり、鎮痛・発汗・健胃等の薬効があると言われており、さらに着色剤としても用いられる等、古来よりきわめて高価な物として取り扱われてました。

後に中東からインドやヨーロッパに伝えられ、世界中の料理で盛んに使用されるようになります。


《ここだけの話》

・クロッカスの名は、メソポタミア文明の基礎を築いたシュメール人の言葉「クルカギーナ」に由来し、人類最古のシュメール文明とつながる唯一の現代語となってるそうです。(ロマンありますね~)


・サフランは偽物も出回るほど高価だったらしく、16世紀のフランスではアンリ2世が王の頃に、サフランの栽培を奨励する一方で、偽物製造者を死刑にしたほどです。😲


【ムギ】


ムギで出来た食べ物の代表格はパン🍞ですが、実は最も古い麦文化を誇るのはヨーロッパではなく西アジアだったりします。「ナン」という薄型の発酵パンが食され、アフガニスタン等では食事そのものを「ナン」と呼ぶ程です。(日本でいう「ご飯」と同じ意味です。)

西アジアは古来より現在に於いても手で食べる文化であり、ナンは色んな食材を間に挟んで食べる事が出来るという面でも最も便利なパンの形態でした。


もう一つ、中東を代表するムギ食品に「バルガー(ブルグルという呼び名の方がメジャー)」というものがあります。バルガーはメソポタミア文明の時代に、固い外皮を持つムギを長期保存する為につくられた食品であり、西アジア・中東から広がり、現在ではインド・欧米の料理でもよく使用されています。


《ここだけの話》

ナンといえばインドを思い浮かべますが、実はインドでは主食ではありません。😲(インド北部ではチャパティと呼ばれるパン、インド南部では米が主食です。)

ナンはペルシアの食べ物です。イランを中心に主食とされ、ペルシアの諺に「ナンはかまどの熱いうちに焼け」(日本の「鉄は熱いうちに打て」と同じ意味」)というのがあります。



【ナツメヤシ】


厳しい環境の乾燥地帯に於いて、逞しく育つ植物の一つ「ナツメヤシ」🌴。

その歴史はムギよりも古く、メソポタミアでは約8000年前から栽培されており、

栽培8年程で実をつけ始め、100年程実をつけ続けたり、1本の樹から年間270キロもの実が収穫されることもあったといわれていおり、中東・西アジア・北アフリカの大乾燥地帯にて、万能食材として位置づけられてきました。


現在に於いても、ナツメヤシの実は砂漠の遊牧民にとっては主食・スナック菓子であり、干した実はキャラバン(商隊)の携帯食料で、種はラクダのエサとして利用されてます。

さらに、ナツメヤシの実を潰して作るシロップは古代以来料理に欠かせない調味料であり、発酵させて酒や酢もつくられてきました。

このとおり、ナツメヤシは大乾燥地帯に成長した西アジア・中東諸文明を支える重要な食材であり、現在に於いても北アメリカ・ペルシア・アラビアでは欠かせない存在となっています。



【コーヒー】


コーヒーといえば、原産国は東アフリカであり、ヨーロッパを代表する嗜好品という認識ですが、実はイスラム圏で育てられて嗜好品です。ヨーロッパにコーヒーが嗜好品として伝わったのは、17世紀であり、オスマン帝国から伝えられています。

イスラム圏では6世紀頃よりアラビア半島で「アラビカ種」という品種のコーヒー豆が栽培されていました。


コーヒーは穀物のように煮られ、豆も煮汁も食用とされた。又、種子を粉末にして、バターでボール状に固めて、携帯用の食糧として重宝されていました。又、10世紀にコーヒーの生豆を砕いて煮たものが薬として使用されたことを、イスラム世界の偉大な医学者 アル・ラーズィーによって記されています。

その後、コーヒー豆を砕き、煮だして飲む方法は、中世末期にイエメン地方で始まり、イエメンのモカ港からエジプトに伝えられたといわれています。


コーヒーは原産国のエチオピアでは、もともと「ブンナ」と呼ばれていましたが、アラビアに伝わると呼び名が変わり、コーヒーの木や豆は「ブン」、飲料としてのコーヒーは「カフワ」と呼ばれるようになりました。

「カフワ」は「煎じて作られる飲み物」の意味であり、現在のコーヒーの語源といわれています。


初期のコーヒーは生の豆から作られていた為、発酵する可能性もあり、アルコール飲料として作る事も可能であったと考えられてました。しかし、イスラム世界では【コーラン】にて、アルコールの飲用を厳禁としているのは周知の事実であり、アルコールの裏での流通が懸念されてました。イエメンにはアラブ最初の大学が9世紀に創設されており、最盛期にはアラビア・アフリカの留学生が集まる学術センターとしての役割がありました。

留学生達の間で、アルコール飲料としてコーヒーが飲まれる可能性は十分に考えられ、万が一そのようなことがあれば許されない為、13世紀頃にコーヒー豆を炒ることで発酵しないようにしました。

コーヒーを炒ることで香味が増し、本来の香ばしさが引き出され、弱く炒ると酸味が、強く炒ると苦味が出る。皮肉な事に、アルコール阻止の為の行動からコーヒーの魅力が発見され、焙煎技術が発展していくという出来事が起こりました。

この魅惑の飲み物は次第にイスラム世界を北上し、聖都メッカではカルダモンを入れて煮出した飲料が流行しました。1551年にオスマン帝国の首都「コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に世界最初のコーヒーハウスが出現し、カイロ・ダマスカス等の主要都市にも広まりました。1560年頃のイスタンブールには約600もの「チャイハネ」と呼ばれるコーヒーハウスがあったと言われています。

その後、コーヒーはヨーロッパに普及され、イギリスのロンドンで世界初の喫茶店が誕生しました。

その時に飲まれていたコーヒーは、ターキッシュスタイルのコーヒーでした。

今のコーヒー文化の主流であるドリップコーヒーが生まれたのは18世紀のフランスなのですが、

それはまた次の機会にしましょう。



ペルシア・アラビア料理圏は、日本での知名度としてはあまりなじみの無いものですが、

世界の食文化にかなり影響を与えた料理圏だという事はいうまでもありません。

特に、ヨーロッパ料理圏とインド料理圏とはかなり絡んでいます。


というわけで、次回はヨーロッパ料理圏の紐解きをしていきたいと思います。



それでは、また来週👋




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